巻十一巻|恋一

巻十一巻|恋一
551

奥山の
管の根しのぎ
降る雪の
消えぬとか言はむ
恋の繁きに
550

淡雪の
溜まれはかてに
砕けつつ
我が物思ひの
繁きころかな
549

人目守る
我が身かはあやな
花薄
などか穂に出でて
恋ひずしもあらむ
548

秋の田の
穂の上を照らす
稲妻の
光の間にも
我や忘るる
547

秋の田の
穂にこそ人を
恋ひさらめ
などか心に
忘れしもせむ
546

いつとても
恋しからずは
あらねども
秋の夕べは
あやしかりけり
545

夕されば
いとど干難き
我が袖に
秋の露さへ
置き添はりつつ
544

夏虫の
身を徒らに
なすことも
一つ思ひに
寄りてなりけり
543

明け立てば
蝉の折羽へ
鳴き暮らし
夜は蛍の
燃えこそ渡れ
542

春立てば
消ゆる氷の
残りなく
君が心は
我に解けなむ
541

よそにして
恋ふれば苦し
入相の
同じ心に
いざ結びてむ
540

心変へ
する物にもがな
恋は苦しき
物と人に
知らせむ
539

打ち侘びて
弱はむ声に
山彦の
答へぬ山は
あらじとぞ思ふ
538

浮草の
上は繁れる
淵なれや
深き心を
知る人のなき
537

逢坂の
関に流るる
石走り
言はで心に
思ひこそすれ
536

逢坂の
夕付け鳥も
我がごとく
人や恋しき
音をのみ鳴くらむ
535

飛ぶ鳥の
声も聞こえぬ
奥山の
深き心を
人は知らなむ
534

人知れぬ
思ひを常に
するがなる
富士の山こそ
我が身なりけれ
533

葦鴨の
騒ぐ入江の
白波の
知らずや人を
かく恋ひむとは
532

沖へにも
寄らぬ玉藻の
波の上に
乱れてのみや
恋ひ渡りなむ
531

早き瀬に
見る目生ひせば
我が袖の
涙の川に
植ゑましものを
530

篝火の
影となる身の
侘びしきは
流れて下にも
揺るなりけり
529

篝火に
あらぬ我が身の
なぞもかく
涙の川に
浮きて燃ゆらむ
528

恋すれば
我が身は影と
なりにけり
さりとて人に
添はぬものゆゑ
527

涙川
枕流るる
憂き寝には
夢も定かに
見えずぞありける
526

恋しねと
する業ならし
玉の緒の
夜はすがらに
夢に見えつつ
525

夢のうちに
逢ひ見むことを
頼みつつ
暮らせる宵は
寝む方もなし
524

思ひやる
境はるかに
なりやする
惑ふ夢路に
逢ふ人のなき
523

人を思ふ
心は我に
あらねばや
身の迷ふだに
知られざるらむ
522

行く水に
かすかく寄るより
はかなきは
思はぬ人を
思ふなりけり
521

つれもなき
人を恋ふとて
山彦の
答へするまで
嘆きつるかな
520

来む世にも
はや成りななむ
目の前に
つれなき人を
昔と思はむ
519

忍ぶれば
苦しきものを
人知れず
思ふてふこと
誰に語らむ
518

人の身も
習ひしものを
逢はずして
いざ心見む
恋や死ぬると
517

恋しきに
命を替ふる
物ならば
死にはやすくぞ
あるべかりける
516

宵々に
枕定むる
方もなし
いかに寝し夜か
夢に見えけむ
515

唐衣
紐解く暮れに
なる時は
返す返すぞ
人は恋しき
514

忘らるる
時しなければ
葦立つの
思ひ乱れて
音をのみぞ鳴く
513

朝な朝な
立つ川霧の
空にのみ
浮きて思ひの
ある世なりけり
512

種あらば
岩にも松は
生ひにけり
恋をし恋はば
逢はざらめやは
511

涙川
なに水上を
尋ねけむ
物思ふ時の
我が身なりけり
510

伊勢の海の
海人の釣縄
打ち延へて
苦しとのみや
思ひ渡らむ
509

伊勢の海に
釣りする海人の
憂けなれや
心一つを
定めかねつる
508

いで我を
人な咎めそ
大舟の
ゆたのたゆたに
物思ふころぞ
507

思ふとも
恋ふとも逢はむ
ものなれや
夕手もたゆく
苦しみもせむ
506

人知れぬ
思ひやなぞと
葦垣の
間近けれども
逢ふよしもなし
505

浅茅生の
小野の篠原
忍ぶとも
人知るらめや
言ふ人なしに
504

我が恋を
人知るらめや
敷妙の
枕のみこそ
知らば知るらめ
503

思ふには
忍ぶることぞ
負けにける
色に出でじと
思ひしものを
502

あはれといふ
ことだになくば
何をかは
恋の乱れの
塚根をにせむ
501

恋せしと
御手洗川に
せし禊
神は受けずぞ
なりにけらしも
500

夏なれば
宿に燻る
篝火の
いつまで我が身
下燃えをせむ
499

葦引の
山郭公
我がことや
君に恋ひつつ
寝がてにする
498

我が園の
梅の梢に
鶯の
音に鳴きぬべき
恋もするかな
497

秋の野の
尾花にまじり
咲く花の
色にや恋ひむ
逢ふよしをなみ
496

人知れず
思へば苦し
紅の
末摘む花の
色に出でなむ
495

思ひ出づる
常盤の山の
岩筒じ
岩根はこそあれ
恋しきものを
494

山高み
下行く水の
下にのみ
流れて恋ひむ
恋は死ぬとも
493

滝つ瀬の
中にも淀は
ありてふを
など我が恋の
淵瀬ともなき
492

吉野川
岩切り通し
行く水の
音には立てじ
恋は死ぬとも
491

葦引の
山下水の
こがくれて
滾つ心を
堰きぞかねつる
490

夕月夜
差すや岡辺の
松の葉の
いつとも分かぬ
恋もするかな
489

駿河なる
田子の浦波
立たぬ日は
あれども君を
恋ひぬ日はなし
我が恋は
虚しき空に
満ちぬらし
思ひやれども
行く方もなし
487

ちはやぶる
賀茂の社の
夕襷
一日も君を
懸けぬ日はなし
486

つれもなき
人をや妬たく
白露の
置くとは嘆き
消ぬとは忍ばむ
485

刈り薦の
思ひ乱れて
我恋ふと
妹知るらめや
人し付けずは
484

夕暮れは
雲の果てに
物ぞ思ふ
天つ空なる
人を恋ふとて
483

堅糸を
こなたかなたに
寄り掛けて
逢はずは何を
玉の緒にせむ
482

逢ふことは
雲居はるかに
なる神の
音に聞きつつ
恋ひ渡るかな
481

初雁の
はつかに声を
聞きしより
中空にのみ
物を思ふかな
480

頼りにも
あらぬ思ひの
あやしきは
心を人に
付くるなりけり
479

山桜
霞の間より
ほのかにも
見てし人こそ
恋しかりけれ
478

春日の野
雪間を分けて
生ひ出づる
草の初葉に
見えし君はも
477

知る知らぬ
何かあやなく
分きて言はむ
思ひのみこそ
標なりけれ
476

見ずもあらず
見もせぬ人の
恋しくは
あやなく今日や
眺め暮らさむ
475

世の中は
かくこそありけれ
吹く風の
目に見ぬ人も
恋しかりけり
474

立ち返り
あはれとぞ思ふ
よそにても
人に心を
置きつ白波
473

音羽山
音に聞きつつ
逢坂の
関のこなたに
年を経るかな
472

白波の
跡なき方に
行く舟も
風ぞ頼りの
標なりける
471

吉野川
岩浪高く
行く水の
早くぞ人を
思ひそめてし
470

音にのみ
聞く野の白露
夜は置きて
昼は思ひに
あへず消ぬべし
469

郭公
鳴くや五月の
あやめ草
あやめも知らぬ
恋もするかな
巻十一巻|恋一
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